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飯田達也さん
飯田店
東伊豆町民インタビューNO.54 飯田達也さん
本日は私が空き家改修をしている学生時代からお世話になっている、稲取にある飯田店の飯田達也さんにお話を伺いたいと思います。
私から見た飯田さんは公私ともに地域の取り組みや組織に主体的に参加されている地域愛溢れるお方です。
本日は飯田さんの原点から今お考えの新たな挑戦などについてお話を伺っていきたいと思います。
飯田さん、本日はよろしくお願いいたします。
まず最初に飯田さんのこれまでの生い立ちをお教えいただきたいです。
よろしくお願いします。
私は稲取で生まれ育ち、高校からは地元を出てバレーの推薦で名門校だった東海第一高校に入学しました。
高校時代はバレーを続け、過酷な3年間でしたが人格形成がそこでできたと思っています。
大変な部活動を辛抱強く耐え抜き、先輩と後輩のつながりの大切さを体感しながらチームで物事をやり遂げることの重要さを基礎として学ぶことができました。
高校卒業後は稲取に帰ってくるのを前提に東京に出て、5年間修行の身という立場で、食品問屋で営業の勉強をしてきました。
バブル崩壊のタイミングとちょうどかぶっていたので朝7時から夜10時まで働くのが当たり前の生活を送っていて、どうすることも出来ないような状況でもありましたが、振り返ってみると人間力がないと生き残れない世の中だったなあと思いますね。
世間的に大変だった時期も乗り越え、5年の修行期間を経て、約束通りに稲取に戻ってきたという流れになります。
若かりし頃の原体験を教えてもらって今の飯田さんの親しみやすいお人柄やたくましさに納得しました!
それでは稲取に帰ってきてから飯田店さんでのお仕事のお話をお教えください。
飯田店は1908年創業で、稲取が港町として栄えた時代に「よろづや」から始まりました。
初代は大川地区の出身で、稲取に移り住み開業して徐々に酒類の販売がメインの事業になっていったようです。
私が修行先で仕入れのノウハウを身につけて帰ってきたのをきっかけに徐々に飯田店での仕事の幅を広げ、冷凍食品関連の卸売りをしたり、商品開発などにも積極的に取り組んでいます。
稲取のオリジナリティが感じられる商品をどう生み出していくかは常に考えていますね。
飯田店さんは創業100年以上経っている歴史のあるお店だったんですね!
普段、新商品開発に積極的だなと情報をキャッチさせてもらっております。
新商品開発など新しく挑戦することで様々なご苦労があるのではないかなと思っているのですが、実際いかがなんでしょうか?
商品開発は手探りでやっていて、失敗を繰り返しながら商品化していっています。
伊豆の特産みかんであるニューサマーオレンジを原料に商品開発を試みる機会がありますが、味自体にパンチが少ないため、どのようにコストを抑えながら味を再現していけるのかは常に試行錯誤です。
日本酒とかも開発を試みたことがありましたね。
やはり試作を繰り返して商品化にむけて調整を繰り返されているんですね。
現在販売中の商品たちは飯田さんのご苦労の上にあるんだと思うと一層味わい深いです。
地域認定商品にもなっている「ニューサマーサイダー」は飯田さんはじめ、稲取の若旦那3人衆で販売されていると思うのですが、若旦那3人衆というグループはどのようなきっかけではじまったのでしょうか?
実は、三人衆の前身となったグループがありまして、そちらは当初八人衆でした。
地元のお菓子屋さん、化粧品屋さん、ホテル経営者などが参加していて、開発した商品が作れるからそれらをホテルで試験的に使えるような流れを想定したグループ構成でした。
ところが私以外の全員が経営者で会議をするにも全員が集まることが難しく、なかなか話が思うように進まず、徐々にメンバーも抜けていってしまい、気づくと後の三人衆となる3人だけが残り、最後に一つだけニューサマーオレンジを原料とした商品を作って活動を終わりにしようという話になりました。
そのとき生まれた商品こそが「ニューサマーサイダー」でした。
当時の最低ロットが2万4千本だったため、それらを製造し売り切って活動を終わりにしようという話でしたが、半年間かけて売り切ることを目標としていた量が、1ヶ月で売り切れてしまいました。
発売当初のニューサマーサイダーは雛の吊るし飾りまつりのタイミングに合わせて発売して、マスコミで宣伝していただいたり、当時のインフルエンサーのブログでも取り上げてもらったことが大きな要因となった結果だったのかなと思っています。
ただ、初期のニューサマーサイダーは観光客からの評価は高かったですが、地元からはニューサマーの味が薄いなどと酷評され、フィードバックを重ねながら地域から愛される商品に育てていきました。
実際企画から販売まで3人で進めてみて、連携してやることにしっくり来た感覚があったので活動を継続することにしたんです。
若旦那三人衆にそのようなストーリーがあるとは知りませんでした…
ちなみに、どういった経緯で販売する商品をニューサマーサイダーにしようということになったのでしょうか?
ニューサマーオレンジの原料を使うことは決めていたので、初期段階では当時流行っていた飲料「桃の天然水」をイメージしたものを作ろうと話を進めていました。
メンバーを通して飲料製造工場とつながることができたため、その企画書を持って工場へ説明に行き、一通りの企画説明を終えたときに、工場の方からその工場が炭酸飲料製造を専門に行なっている工場だという事実を明かされました(笑)
しかし、私たちの企画説明の後に、工場サイドからも熱意のあるプレゼンテーションを受けて、我々もその情熱に感化され、その場でニューサマーオレンジを原料としたご当地サイダーを製造することが決まりました(笑)
ニューサマーサイダーは2010年から販売していますが、そのタイミングから、徐々にご当地サイダーブームが生まれてきたという追い風もあり、私たちも流行の第一線を走ることができたんですよね。
構想していた飲料を即座に炭酸飲料に切り替えた皆さんの直感的決断があったり、世のご当地サイダーブームにも乗ることができたりと、様々な歯車が噛み合って今のニューサマーサイダーがあるんですね。
お三方それぞれ業種が異なるのかなと思うのですが、どのような役割分担をされているのでしょうか?また、どのような思いで三人衆の活動を展開されているのかも併せてお教えいただきたいです。
飲食の卸売業をやっている「飯田店」は取引先であるホテルや旅館を中心に卸し、造園業の「稲取造園」さんはお仕事の関係で近隣の保養所などに卸し、観光農園の「ふたつぼり」さんはネット販売や、コンビニ・スーパーとのパイプを活かしてそちらに卸して、といった形でそれぞれの役割分担で販売経路を開拓しています。
三人衆は、これまで農家さんがあってこそ地域が成り立ってきたのでこれからも大好きなこの地域が持続するように、ニューサマーオレンジの農家さんたちの応援をしていこうという思いを持って活動しています。
そこで、ニューサマーサイダーの原料にもなっている廃棄されるニューサマーオレンジを相場のおよそ3倍の価格で仕入れています。
それを加工して、付加価値をつけて販売するということでこのビジネスモデルを成立させようという試みでもあったので、設立当初から原料を買い叩かずに仕入れるということはこだわりをもって続けています。
原料は弊社で冷凍して通年で卸すことが可能な環境を整えており、ニューサマーサイダーの他にも近隣のお菓子屋さんに果汁と皮を卸しています。
通年の仕入れは6tくらいで、稲取の農家さんからすべて仕入れさせてもらっています。
技術も設備もアイデアも人のつながりもお三方がそれぞれを持ち寄ってこそ、ニューサマーサイダーという商品が実現しているんですね!
地域の産業に対しての想いが成している活動でもあるということがよくわかりました。
大変参考になります。
続きましては稲取の暮らしで飯田さんが思い入れのある出来事についてお教えいただきたいです。
小さい頃から大人がやっている稲取の祭りが楽しそうで、自分も祭りに出ることに憧れて飯田店に帰ってきました。
好きな地域の困りごとってどれをとっても一人では解決が出来ないことなので、チームで得意なことを持ち合ってやっていくことの強さや大切さを知っているからこそ、みんなが主役だし、みんながサポートしているという状態が理想のチームの在り方なんじゃないかなと思っています。
幼少期の飯田さんにとって稲取のお祭りがとても魅力的に見えていたということがよく分かるエピソードですね。
お祭りによって地域愛が育まれるという仕組みにとても興味がわきました!
飯田さんがまちづくりにどのような想いをかけて携わられているのかを教えていただきたいです。
東伊豆町の人口が16,000人の時代に育ってきたから、人が多くて楽しかったのを覚えています。
その頃は仲間もたくさんいたけれど、人口が減って寂れていくと住んでいる人たちに負担が増えて大変ですし、子どもも楽しいと思えるのかな?と今よりも賑わっているこの町を知っている身からすると可愛そうだなと思ったりもしています。
人口が多かったあの頃のようなにぎやかな町にできたらいいなという思いは強いですね。
商工会青年部の部長を務めたときは、観光と一次産業、それぞれの視点を混ぜ合わせたら町の雰囲気を変えていけるのではないか?とトライしたことがありました。
それは農協の壮青年部とコラボし、出荷することのできない農産物を地元の飲食店で仕入れて不要とされる食材を少なくしていこうという企画で、青年部レベルの年齢層が交流することが地域に新しい価値を生み出すという考えから生まれたアイデアでした。
中学校ではPTA会長も務め、挨拶をするときはいつも最初に「僕は稲取が大好きです。」と冒頭に話をさせてもらっていました。
まずは大人である私たちが子どもたちに地域愛を示していかないと、子どもたちもこの土地のことに愛着は持ってくれないと思っているので、大好きですと公言しているんです。
小学校のバレー教室のコーチも長年やらせてもらっていて、地域に貢献することが全部自分の仕事に跳ね返って来ると思ってやっています。
稲取愛が原動力です。
大人が地域への愛着を言葉にしていくことで子どもにもその想いが伝播していくということは、きっと飯田さんが幼少期に楽しくお祭りに参加していた大人たちの姿を目にして憧れを持たれていた原体験があってこその着眼点なんだろうなと思いました!
それでは最後に飯田さんが今後挑戦していきたいことってありますか?
2019年から動いている新しい事業がありまして、生ゴミを液体肥料にして、農業用に使おうという準備を進めています。
液体肥料によって柑橘類の糖度が上がる効果が実証されていて、この土地での一次産業との相性がよさそうです。
その生産物をまた地域の旅館などで使用することで地域内に消費の循環が生まれることを目指しています。
液体肥料はゴミを燃やさずに化学反応を使って製造するので二酸化炭素も排出しないし、東伊豆町のゴミ排出量が多いという地域の問題も解消できるはずです。
会社としても食品を扱っていくビジネスなので、ゴミとして出てしまう部分にまで責任を持とうという姿勢も示すことができるかなと思っています。
また「稲取の天然水」の発売も間近に控えています。
シリカというミネラル成分が豊富な稲取の深井戸水から採取した良質な水を販売していく予定です。
いかに飯田さんたちが地域にあるものを活かせるかというお考えを持って、様々な取り組みを進めていらっしゃるのかがわかるエピソードや構想を伺うことが出来ました。
先輩たちから学ぶことがたくさんあります。
これからも地域愛に溢れたその背中を追いかけ続けさせていただきたいと思います。
飯田さん本日はお忙しい中インタビューにお答えいただきまして誠にありがとうございました!!