住む
鈴木京子さん
伊豆半島認定ジオガイド
東伊豆町民インタビューNO.40 鈴木京子さん
本日は伊豆半島ジオパークの認定ジオガイドの鈴木京子さんにお話を伺ってまいります。
鈴木さん本日はよろしくお願いいたします。
まず、ジオパークやジオガイドの取り組みについて教えてもらってもよろしいでしょうか?
よろしくお願いします。
ジオパークとは、地球・大地を表す「ジオ」と、パーク(=公園)を足し合わせた言葉です。
ジオガイドとは、言葉の通り地球に関するすべてのものごと、文化や自然、この土地で暮らす人々の生活や歴史などを観光客や地域の人に味わってもらったり、子どもたちへ伝えていくべき学習などに携わるお仕事です。
小学校、中学校へ出張授業をし、現地を見学して子どもたちに学習してもらう機会を作っています。
観光客のお客さん向けにツアーを立ち上げてもいます。
当たり前でつまらないと思われていた地域にこんな意味があったんだと、感じていただけたら嬉しいです。
ありがとうございます!
鈴木さんはジオガイドさんとしてはどのようなことに取り組まれているのでしょうか?
認定ジオガイドが東伊豆エリアに私一人だけという時期があったので、伊豆高原にある「ジオ研究会」というボランティア団体に所属していまして、そこで年間に伊豆高原から東伊豆町のポイント6箇所のご案内をしています。
参加者を募って沢山の人の学びの機会を作っています。
今年もコロナで細野高原のジオ研究会もあったが断念しました。
その他は伊東にある大室山、城ヶ崎海岸、伊雄山(いおやま)、げんこつ山(矢筈山)などを案内しています。
東伊豆町に限らず広域でご活躍なんですね!
鈴木さんはいつからジオガイドになられたのでしょうか?
私はガイド認定制度が出来上がる前の2011年の一回目のジオガイド養成講座に参加し2013年3月に認定試験を受け、合格しました。
伊豆半島ジオガイド協会に所属していて、スキルアップ講座という位置づけで、マイクロバスを借りて南伊豆、西伊豆など現地勉強会などに赴いていました。
私は介護などもあったので他のガイドさんの補助的な立場で関わる期間も長くありました。
経験を積めていなかったのでメインでガイドを務めるのは難しいだろうなと思っていたんですが、2年ほど前に町の生涯学習講座のトモロ学級で南伊豆の石廊崎へバスツアーに行った際、移動の行き来で参加者のみなさんとジオについてのお話が弾んだので自信をつけることができました。
ジオガイドの皆さんが一様に、経験を積みながら、伊豆半島の語り部になっていくんですね。
鈴木さんのジオガイドで様々なポイントをご案内いただきたいです!
私の中で東伊豆町のジオポイントの代表といったら稲取火山です。
また細野高原では縄文時代の遺跡が発見されています。
稲取には浅間山(せんげんさん)の側で稲取火山が噴火したんですけど同時期に、浅間山白田側にある堰口(せきぐち)火山や、シラヌタの池付近にある川久保(かわくぼ)火山が噴火したとされています。これらは火山列(かざんれつ)と呼ばれるものです。
稲取にある浅間山(せんげんさん)の「浅間」という言葉は「火山」を意味するので、地名を付けた当時の人達はあの山が噴火したと思ったのかな?と想像することができて楽しいんですよね。
その他にも伊豆半島には三宅島、神津島が立て続けに噴火したことがありその自然現象が、白浜神社にまつわる神話とも結びついていたりして面白いんですよ。
ちなみに今はこのようにジオについてお話することができていますけど、子どもの頃は歴史も地理も暗記がいっぱいだったので社会は大の苦手だったんです(笑)
たくさんのジオの知識をお聞かせいただきましたが、社会が苦手だったとは意外です!
苦手意識がある分野でだった「ジオパーク」に鈴木さんはなぜ関心を持たれたのでしょう?
子どもの頃、大室山のてっぺんに行き「この穴は何?」と父に聞いた時に「噴火口だよ」と教わり、当時は大島が毎日噴煙をだしていたこともあり絶対にこんな噴火口があるわけないと私は思っていました。
介護で仕事を退職しようとしていた年に、一回目の認定ジオガイド講座の募集があり、そのチラシに大室山が大きく掲載されていて、ここにはやっぱり何かの秘密があるんだと感じ、それを知りたいなと思い応募したのが経緯です。
講座で勉強を始めると、その他にも小さい頃から伊豆の景色に引っかかりや疑問を持っていたことの答えがわかってきて、ガイドになりたいというよりも「知りたい」という気持ちで参加させてもらっていましたね。
例えば、伊豆の国市にある城山(じょうやま)も、なぜ唐突にそびえ立つ断崖絶壁の風景が現れるんだろう?という疑問を持っていて、勉強していくうちにあれが、かつてのマグマの通り道の「火山の根」と呼ばれる固い部分で、弱い部分は侵食されてそこだけが残ったからあのような景色が生まれていることも知ることができました。
小さなころに漠然と抱いていた伊豆の自然に関する疑問が、大人になってジオについて勉強する中で解消されたんですね。
鈴木さんは稲取の水下のご出身だと伺いましたが、ジオガイドになるきっかけに細野高原は関係しているのでしょうか?
全然つながらなかったんです。細野高原のジオ的要素って一体何なんだろう?という感じでした。
綺麗に残っている柱状節理、思わず見入ってしまうスコリア丘、きれいな地層など他のエリアにはたくさん当時魅力的に感じられるジオスポットがありました。
細野高原が東伊豆の典型的なジオだよといわれても、何を説明するの?という印象でした。
私にとっては一番最初に東伊豆のジオと言ったら「稲取火山」でした。
クロワッサン状になった「火山弾」が見られたり、浅間山に登れば下田の爪木崎から伊東の大室山まで見渡すことができ、伊豆半島の成り立ちを感じることができるジオの説明がたくさんできるポイントです。
細野高原に来たら何を話せばいいんだろう?という時期もありました(笑)
勉強する中で、細野高原は土石流によって生まれた貴重な草原であること、草原を維持するために行われてきた山焼きが古くから行われてきたこと、様々な種類の火山の岩の中を通って磨かれたきれいな水が湧いていること、小さい頃から自分たちがわらび狩りに来た時に腰掛けたりよじ登っていた岩が土石流によって転がってきた岩だということを知るなかで、その貴重さがわかりました。
そうは言っても細野高原はわらび狩りをしていた家族の思い出の場所で、稲取には他の場所にも水場がたくさんあったり、もずくがにがいたり、川の水を飲んだり、水がきれいなのは当たり前だったので特段不思議だなと思うようなことはなかったんですよね。
地元の方たちにとって細野高原だったりきれいな水が湧いていることは当たり前なんですね。伊豆の自然によって得られている恩恵が当たり前だなんて豊かですね。
非日常の場所のほうが、なんで?が生まれやすいですから、鈴木さんにとってジオパークの勉強の対象となったのは当たり前の日常の外側のポイントが多かったということですね。
ジオの観点で考えてみると、子どもの時は細野高原に湿原があることは知りませんでした。
中学生の頃細野高原にキャンプに行ったのですが、今考えるときれいな水が出たからそこでキャンプができたんだなあ。と思ったり、子どものころ自分たちがやってきたことの意味づけができてきたなあと思います。
今まで当たり前だったことも、ジオの視点から見てみると違った切り口で見えてくるものがあるんですね!
それでは最後に鈴木さんが今この町で気になっている出来事や、課題意識などありましたらお教えください。
そうですね。人口減少が顕著だと思います。
私が就職した頃は1学年に160人くらいいた子どもが、今は30人くらいの人数しかいなくなってきています。
細野高原も後継者が不足していて保全していくのが厳しくなってきていたり、若い人や子どもがいないとお菓子屋さん、洋服屋さん、食事所のシャッターが閉まってしまいますよね。
細野高原も大事にしていきたいけど、保全の担い手が高齢化し、残すための労力がなくなっていってしまっているので、出ていってしまった人も定年したら戻ってきてもらえたらいいのになと思ったりもします。
大人が大事にしている姿を見ていたら、大事にしないといけないなという気持ちが芽生えてくるんじゃないでしょうか?
私は農家の家だったんですけど、農家の仕事が好きじゃなかったんです。蛇も、クモも嫌いでした。
でも仕事を退職したあとは実家の畑を手伝うようになりました。
それは、年老いた両親が大事にしている姿を見ていたら一緒に守ってあげたいという気持ちが芽生えてきたんです。
これからの世代の人たちにもそうなっていってもらいたいですね。
思うと、私が今やっていることはみんな嫌いなことから始まっていますね(笑)
当たり前の風景や生活も苦手意識があることも自分にとっての意味や視点が変わってくると、「大切に思えること」になり得るんだということがよく分かるエピソードですね。
ジオのこともたくさんお聞かせいただきありがとうございました!
引き続き東伊豆のジオの語り部として僕たちにたくさんこの町のことを教えて下さい!!