住む
村木篤さん
吟酒むらため
東伊豆町民インタビュー NO.71 村木篤さん 後編
吟酒むらためさんのインタビューの後半となります。
むらためさんの魅力をどんどん深堀りできたらと思います!
村木さんが酒屋さんをやる上でこだわりを持たれていることについてお教えいただいてもよろしいでしょうか?
酒屋を継ぎ始めた当初は、地方によくある昔ながらの酒屋さんの店構えでした。
もっと、お客さんが立ち寄りたくなるような店構えに作り変えられないかと構想し、いろんな地域の地酒販売で成功している酒屋さんをめぐってみて、見栄えのするディスプレイ方法などを学びました。
最終的には、地酒を取り扱うお店ということで蔵風な店構えにし、梁の照明も間接照明にして雰囲気のある店舗を作ることができました。
店舗ディスプレイも常時同じではなく、春夏秋冬正月クリスマス、シーズンによって何回変えるんだというくらいレイアウト変更を行っています。
大変だけど、何もやらないということではだめだなと。
楽していたら商売がうまくいかないと思っているので、時間を見つけては様々なことを考えていて、時間はいくらあっても足りないくらいです。
ゆとりが出てくれば取り扱う銘柄を徐々に増やしているのもそうだし、酒屋という職業をこれまでもこれからも地道に育てていきたいと思っています。
稲取の町にたくさんあった酒屋も少なくなってきました。
酒屋ということに集中し、お客様にも助けられているので商売を続けていられると思うんです。感謝ですね。
特に意識しているのが、価格競争に巻き込まれないために自分のお店をいかに守っていけるかだと思っていて、うちの強みは「地酒」「スタッフ」「パソコン活用」だと意識しながら酒屋を営んでいます。
時代は常に変わり続けているので、状況を見ながら変わっていかないといけないです。
それでいうと地酒の取り扱いを始めたことが、うちにとっての成功の鍵だったんだと思います。
今いただいたお話は自営業の村木さんならではの境地だなと感じていて、世の中の状況が変わるなか、ブレずに酒屋さんを軸として事業に集中されている姿勢から学べることがたくさんあるんだろうと思いました。
今お教えいただいた、むらためさんの強みはどのように事業に活きているのでしょうか?
まず、この地域の酒屋として、ホテルや飲食店様からのご利用、店舗への来店いただけるお客様、お中元やお歳暮といったギフトのご利用が、店を成り立たせるためのお客様という柱をいくつか持っておかないとなという考えがあります。
かつて大口のホテル様とのお取引があれば、ある程度商売が成り立たせることができたけれど、それだけでは万が一契約が打ち切られてしまったときに仕事が成り立たなくなるかもしれないというリスクがありました。
そういったリスクを減らしもっと安心して仕事に打ち込めるようにと考えると幅広くつながりを作っておく必要があると考え、今ではご縁もあり稲取地区で多くのホテル様と取引させていただいています。
地酒については他の地域の宿泊施設からもお取引させていただいています。
さらに、お得意さんである旅館の地酒メニューを考えさせてもらっていたりもします。
このようなメニュー提案の際にはパソコンが活躍し、他の酒屋さんとは違うサービス提供行い差別化を図っています。
お得意さんのお宿としても、お酒の専門家が制作したメニュー表で仲居さんが宿泊客にお酒をオススメできるというサービスの流れができることにご好評いただいています!
そのようなコミュニケーションが発生する機会に人間味を持って接することで、取引先の旅館さんで取り扱う地酒の銘柄を変更する時にも密に相談に乗ることができるし、関係性を深めていけると他から入られにくいのかな?と思っています。
また、お酒は季節感を出せるというのも強いと思っていて、冬はしぼりたて、夏はさっぱりしたお酒、秋は秋あがり、冷やおろしっていうのを提案することができます。
ホテル旅館に滞在するリピーターさんも飽きが来ないとご好評いただき、季節ごとのメニュー提案をさせてもらうようになって6年くらいが経ちました。
他にもホームページを自作しています。
お客さんがお店に立ち寄る一つのきっかけになればいいなと考え、この地域の中では早くホームページ制作に取り掛かったほうだと思います。
当初はホームページ作成に大金が必要な時代だったため、自作したわけです。
来店客は観光客が多いのですが、今でもインターネット検索から足を運んでくれる方が多数いらっしゃいます。
村木さんのお酒への愛が伝わるお話を伺え、取引先の心を掴むのに十分すぎるほどの手厚いサービスをされているということがわかりました。
酒屋さんのお仕事に集中されているからこそ、村木さんのサービス精神が発揮されるわけですね!
コロナやかつて東伊豆の各地区にあった観光協会が一本化したことで関わりが遠ざかってしまったという感覚があります。
各地区の観光協会があった当時は、観光協会の役員として町の人達が様々な会議で夜な夜な集まって打ち合わせをする機会があり、地域の動きについて情報交換する機会として機能していました。
類似の集まりが昔は色々とあり、私達むらためは地酒を取り扱っている酒屋だという認知もそういった人のつながりから獲得できた部分も大いにありました。
人とのつながりで商売として成り立った部分もあったなと振り返ると今後そのようなことは起こりにくくなってしまうのかと思うと少し残念ですし、そのような交流がなくなってしまったことで、花火など当時は日にちを把握していたような行事の情報も入らなくなってきてしまっていて、ちょっと心配だなと感じています。
プライベートは休みでゆとりがあれば、趣味にでかけます。
趣味は、一個にしようと決めていて、次の趣味に移行するときは綺麗サッパリ前の趣味を引きずらないようにしています。
10年後美味しいお酒が飲めている状態になっていたいつまり健康を維持するためにマウンテンバイクをやっていた(昔から興味はあったけどコスパ的にハードルが高いと思っていた。)
最初はとてもハードだったので、とんでもない趣味をはじめたなと思ったけど、とても鍛えられます。
身体が資本なので、ジョギングも継続的に行っています。
身体を動かしながら楽しみながら、体調を意識しながら過ごしています。
ブログに書くと、久しぶりの人と会ったときの話題の切り口にもなるし、久しぶりに会う人でも話題が昔話だけにならないからいいなと思っています。
村木さんがお考えのように楽しめて健康も維持できることが趣味にできると公私ともに長く活躍できますよね。
僕も見習わなくては…
最後に観光地である東伊豆がどのような発展を遂げるとよさそうか、観光にも密接に関わっている村木さんのご意見を伺って終わりとさせてもらえたらと思います。
かつて売れなくて困っていた酒は伊豆に出せば消費されるという時代がありました。
稲取には酒屋さんが複数件ありましたが、居酒屋さんは少なく、スナックなど2次会のお店が多く、当時日本酒というものは酔わせるための武器というイメージが強く、今のように美味しく嗜むものではなかった時代がありました。
世の潮流としてどんどん安いお酒が入ってきて、価格競争が始まりましたが、私達は「伊豆は海産物も美味しいしお酒も美味しいよ」と県内の地酒を主に取り扱ってきました。
地酒という価格競争に巻き込まれにくい商品を取り扱うことで独自の立ち位置を地域で確立することができたんだと思います。
この土地に住む人達は地元が観光地であるという意識がそこまで強くない人もいるのですが、東北大震災が起こったときは、宿泊施設で働いているスタッフの仕事がなくなってしまい、みんながお休みになったりしている状況に直面して、観光によって支えられている土地であるということを認識できて、やっぱり観光って大事なんだなという意識が地元のなかに芽生えたなという感覚がありました。
その感覚を大切に暮らしていくことが大切なんだと思います。
最後に日本酒のお話をさせていただきます。
日本酒は味の幅にはバラエティがあり奥深い世界です。
年によって味が若干異なりますが、均質な味を目指していくために杜氏さんが発酵を見守っていて、今は機械で製造しているところもあります。
昔は杜氏を雇って蔵人が酒蔵を切り盛りするというスタイルでやっているところがほとんどでしたが、今は蔵元杜氏といって社長と杜氏を兼務するという蔵元も出てきています。
このように味はもちろんのこと、製造元の酒蔵にまつわるストーリー、一緒に食べる食材との調和を楽しんだり、さらに幅広く深く食を楽しむきっかけになるのが日本酒だと思っています。
伊豆は海産物も美味しいし、地酒も楽しむことができる魅力的な場所だということをもっと多くの人に感じてもらいたいですね!
村木さんの日本酒愛に触れられて僕もその魅力に触れることができました!!
今日はインタビューにお答えいただきましてありがとうございました!